頑張る必要ってあるの?

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よくみんな「頑張る」って言葉を使うかと思いますが、例えば、

  • 頑張って仕事する
  • 頑張ってダイエットする
  • 頑張って体鍛える
  • 頑張って英語をしゃべれるようになる
  • 頑張って禁煙する
  • 頑張って禁酒する。。。

何故かネガティブだと感じてしまうのですが、いかがでしょうか?

 

「頑張る」を辞書で調べてみると

1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」

2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。「―・って自説を譲らない」

3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」

引用:goo辞書

 

たぶん多くの人が『1』のことを定義にしていると思うのですが、「我慢して」というところがネガティブにさせているような気がします。

『2』を定義していたとしても、自分の考え・意志をどこまでも通そうとするって苦痛を伴うイメージがあるかと思います。

 

何でまたこんなことをブログに書き始めたかと言いますと、とある女性と話をしているときに「どうやったら自立できるの?依存癖なんだけどどうやったら治るの?」と聞かれたのがきっかけでして。

このとき「誰かに依存しなければいいんじゃない?逆に何で依存したいかが理解できない。かまってちゃんってほんと面倒臭いね。」と言ったところ、当然の如くブチ切れられました。(まぁー、回答としてかなり不適切であったことは認めます。)

ブチ切れられたときに放たれた発言を文字に起こすとこんな感じです。

何でそんな言い方するの?

私だって頑張って心理学勉強して、読んだりしてるのに。

改善しようと頑張っているのに酷い。

 

繰り返し自分の回答が適切ではなかったことは認めますが、頑張っていることを認めてほしい的な感じが痛いです。

このように認めてほしいみたいなことを承認欲求と言うそうですが、これって危険な欲求かと思うんですよ。

誰かに認めてもらうために生きるって辛くないですか?

たぶん本音を言えば誰もが自分のために生きたいとはずなのに、人の目を気にして生きるとか病気になりそう。

 

この女性が「頑張って」というネガティブワードを連呼してることから、依存癖を治したいということが本当に自分がしたいことでないということがわかります。

本当に自分がしたいことは頑張るという苦痛や我慢がないはずです。

 

自分のために生きるとかって話をすると、人に嫌われるというようなことをよく言われますが、それっていけないことなのかと疑問に思います。

嫌うか嫌わないかというのは相手の考え次第で、相手の考えは自分ではコントロールできません

そんな自分でコントロールできないことをいちいち気にしても仕方ないですよね。

 

この女性のケースにおいては、誰かに依存してても良いと思うんですよ。

相手が依存されるのを受け入れるか入れないかは相手次第ですし。

仮に受け入れてもらえない相手だとしたら、別の受け入れてくれる人に依存すればいいだけです。

頑張って良い女になろうとするから辛いのかなと思います。

 

まとめ

頑張っていることを認めてほしいと思うのは良くないと言いましたが、現に日本社会において「頑張れ!」と要求し過ぎているような気もします。(便利な言葉ゆえ使ってしまいがちですが、代わりに使える良い言葉ないかなといつも思います。)

とはいえ、「頑張れ!」と要求し過ぎる社会を嘆いても仕方ないという現実もあります。

 

なので、頑張っていることを認めてほしいという欲求を捨て、さらに「頑張れ!」の要求を無視することが、実は幸せになる方法なのかと思います。

頑張るなんて辞めてしまえば?

 

Bravo

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ナカニー

ナカニー

巷ではナカニーと呼ばれています。 横須賀でのんびりと過ごしています。 人生模索中です。