幸せが絶対的なことに気づけていない人が多いよね

Pocket

旅したり、農業したり、DIYしたり、山登ったり、マラソン走ったり、筋トレしてたりしてると、「何目指してるの?そんなことしてて何が幸せなん?」ってことをよく言われます。

これが結構な難解でクソな質問ではあるのでですが、僕の方もコミュニケーション能力がないというか相手が満足しそうな回答をしてあげようというホスピタリティみたいなものもないので、どうしたらいいものかと思っています。

僕のストレートな回答としては、『その行為によって幸せを感じる脳内伝達物質が出ている、だから幸せ』というだけなのですが、僕が幸せを感じている行為が一般的に珍しいせいか、その体験をしたことないからなのかわかりませんが、その行為を否定されることがあります。

 

こういう否定って何で起こるのかと考えたときに、多くの人にとって幸せは相対的なものなのかなという考えにたどり着きました。

相対的というのは他人との比較で成り立つ考えなのですが、幸せを他人と比較している人って多いですよね。

分かりやすい例で言うとマイホーム信仰とかは相対的な考えで、家を持っていないよりは持っている方が幸せと感じる人が多い成り立っています。

他にも相対的な考えには、結婚してるかしていないか、子供がいるかいないか、車を所有しているかしていないか、ブランドものを持っているかいないかみたいな感じです。割とステータス的なものに多いのかもしれません。

 

一方で、絶対的とは相対的の逆になるので他人との比較がないことを意味しますが、実は幸せというのは他人との比較は関係なく絶対的なものということに気づけていない人が多いのかなと思います。

持家であろうと借家あろうと快適に過ごすことができれば幸せですし、結婚していなくても幸せなカップルもいれば、独り身でも幸せを感じる人もいますし、レンタカーでどこかに行くのが幸せな人もいます。

これらの幸せは他人との比較関係ないので絶対的なものと言えます。

 

そして、ある意味、幸せを絶対的に捉えている人は相対的に捉えている人よりも不幸になりにくいのかなとも思えます。

比較しているということは他人より下になってしまう可能性があるので、下になった時点で不幸になってしまいます。

絶対的であれば他人との比較関係なく幸せなことは幸せなので不幸にはなりにくくなります。

 

僕の友達で週末にぼんやり過ごすことが幸せと感じる人がいるのですが、この幸せは絶対的なものと言えます。

一般的にせっかくの週末にぼんやりするなんて勿体ないと考える人が多い中、ぶれずにぼんやり過ごせるというのはそれが本人にとって絶対的な幸せだからと思います。

逆に、幸せを相対的なものと考えていたら、週末にぼんやり過ごすことはなく、週末も忙しく消耗していることでしょう。

 

まとめ

幸せは絶対的であると語りつつも、まだまだ相対的に考えてしまうことがあります。一時的には相対的に考えて自分より下の人を見た方が楽なときもありますし。

ただ、それって麻薬みたいなもので中毒性がありそうなので、とりあえず筋トレでもして身を清めようと思います。

ちなみに筋トレすると幸せになるという科学的な理由がこの本に書いています。

 

Bravo

 

写真:ぱくたそ

The following two tabs change content below.
仲西紘希(ナカニー)

仲西紘希(ナカニー)

仲西紘希です。 巷ではナカニーと呼ばれています。 横須賀でのんびりと過ごしています。 人生模索中です。